人生で一度だけ、本を読んで声を出して泣いたことがある。
僕の両親は離婚した。
より正確に言うには「いつの間にか離婚していた」
小学校の時には父親は家に帰らず隣町の実家に住んでいた。
父はそこで自営業を営んでいた。
僕はよく父の実家(おばあちゃんの家)に行きご飯を食べ父の仕事の手伝いをしていた。
物心ついた時からほとんどそうだったので、
父親が家に居ない
ということに特に疑問も不満も抱かなかったのだ。
むしろ
「父親が家に居たらこの狭い家はどれだけ狭くなるんだろう」
と三兄弟の末っ子ならではの感情すらあった。
自分の部屋すらないのにこれ以上狭くなったら困る!と。
小学生になる頃にはそういう生活だったので、僕はとっくに離婚しているものだと思っていた。
でも母は僕たちが父のところへ遊びに行くことに何も言わないし、年に一度ぐらいは父親にキャンプに連れて行ってもらっていた。もちろん母は来なかったが。
当時、僕が一番嫌だったのが
「離婚をしたら名字が変わる」
ことだった。
友達の名字が変わり、僕は呼び方に困ったことがあった。
自分はこういう名前で生きていると思っていたのにそれがある日を境に変わってしまう。
しかも自分の意思ではなく勝手に。
それが僕は一番嫌だった。
正直親の仲が悪いとかどうでも良かったぐらいだった。
何とも自分勝手な子供だった。
しかし、僕の名字はいつになっても変わらない。
気付けば小学校を卒業し、中学に入学していた。
変えるなら学校が変わるこのタイミングじゃないのかと思っていたのですが、変わることはなかった。
そうして何事もなく時が過ぎた中学三年生の頃、ふと母からこんなことを言った。
「あんたの義務教育が終わるまでは正式に離婚しない。離婚しても名前はそのままにする」
そう言われた時、僕は母の優しさを知った。
名字が変わるのが嫌だとどこかで言っていたのかもしれない。
でもだからと言ってそこまで待ってくれなくてもと。
その言葉の通り、僕は高校に行っても名字は変わらなかった。
両親は正式に離婚をしたみたいで、僕はきちんと(?)母子家庭となったようだ。
正直それによって僕の生活の変化は何一つなかった。
名字はそのまま、生活スタイルも変わらない。
休みには父に会いに行くし、毎日家に帰れば母がいる。
僕にはそれが当たり前だった。
そうこうしている間に僕は大学生になった。
第一志望だった大学には遠く及ばず、直前になって二次試験無しで受けれる大学があると知ったその大学に入学した。
母にはたまにバカにされ、父にはどこに行っても頑張ればいい、と言われた。
退屈と刺激的な毎日を繰り返しながら僕は大学生活を送った。
新しい芸に挑戦し、新しい勉強を始め新しい人に出会い。
僕の生活は少しずつ変わりつつ、家族は何一つ変わらない。
母は家で三食のご飯を作ってくれ、たまには父に会いに行き遊びに連れてってもらう。
母は離婚しても名字を変えず、僕らもそのままの名前で生きていく。
これが普通で、これが当たり前なんだと。
そう信じて疑っていなかった。
だけどある日、僕はある言葉に出会いました。
その日僕は母方の実家で1人ゴロゴロと本を読んでいました。
読んでいたのは糸井重里の「ボールのような言葉」
コピーライティングの勉強をしていた僕は常々その名前と彼のコピーの凄さを思い知らされてました。
「みんなそんなに褒めるけどどんだけ凄いんだよ」と思ってたまたま本屋で見つけたので買ったのがこの本でした。
たしかにいい言葉が書いている。
ハッとさせられ感動もさせられた。
それだけでも充分だったのに、僕の目に飛び込んだのはこんな言葉だった。
それはそうと、ちょっとマジメな話なんだけれど。
ぼくは、ほとんどすべてのこどもの「願い」を、
とっくの昔から、よく知っています。
時代が変わろうが、どこの家のこどもだろうが、
それはみんな同じです。
おもちゃがほしいでも、おいしいものが食べたいでも、
強くなりたいでも、うんとモテたいでもないです。
「おとうさんとおかあさんが、仲よくいられますように」なのです、断言します。
まだ文章は続いていた。
だけど、そこから先が読めなかった。
気付けば僕は泣いていた。
声を出して、泣いていた。
自分が求めていたのはこれだったのかなと、初めて気付かされた。
自分でも何で泣いてるのかが分からなかった。
でも、涙が止まらなかった。
自分が当たり前だと思っていたことが、実はそうじゃないんじゃないか。
もしかしたら硬くなっていた自分の考えが、柔らかく溶かされていくような感覚だった。
溶けて初めて
「ああ、こんなに硬かったのか」
と気付くような。
その融解に合わせて、涙も流れたのかも知れない。
僕はその日、その文章を読み直してもう一度泣いた。
大学を卒業し就職を控えたある日、母は僕たちを戸籍から外した。
僕たち兄弟は父の元に戸籍を移し、母は旧姓に戻った。
母はやはり自分の名前に戻ったのだ。
思えば当然なのだが、僕にとってはそれも一つの衝撃だった。
そうか、母は僕と名字が違うのかと、寂しい気持ちになった。
上京した今は、地元に帰るときは父の家に泊まり母の家に遊びに行く。
子供の頃とは逆になっかたが、それもまあ仕方ない。
ちなみにこの言葉の全文はこう続いていた。
(中略)
「おとうさんとおかあさんが、仲よくいられますように」
なのです、断言します。
それ以外のどんな願いも、
その願いの上に積み上げるものです。
おとうさんとおかあさんが、
それを知っていたからって、
仲よくできるわけじゃないんですけどね。
それでも、知っていたほうがいいとは思うんです。
両親が、それを知っていてくれるというだけで、
だいぶん、こどもの気持ちは救われます。
仲のいい家族は、それだけですべてです。
今となっては本当に自分が両親が仲が良いことを望んでいるのかは分からない。
でもたしかにあの時僕の心は突き動かされたし、自分はそうなろうと思った。
言葉の力を人生で最も思い知った経験。
誰にでもおすすめできる本は何だろうと考えたら、僕にはこの本しか思いつかなかった。
「ボールのようなことば」糸井重里
糸井さんの様々な言葉が詰め込まれた詩集とも名言集ともとれるような本。
僕にとって生涯忘れることのない大事な一冊。
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